ナチの実験台になったシリアルキラー ブルーノ・ルトケ

残虐非道な殺人犯が逮捕されるたび、「死刑など生温い、人体実験にでも使って世の中の役に立てろ」というような意見をネット上で見かける。だが、実際に人体実験をされて死んだ連続殺人犯が実在するのはあまり知られていない。

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知的障害のシリアルキラー

ブルーノ・ルトケは1908年、ドイツのケペニックに生まれた。軽度の知的障害を持っており、幼少時から動物へ拷問・虐待を加えるような残虐な性格だったとされる。長じて後は馬車の御者として働く一方、泥棒や覗きの常習犯として知られていた。

ブルーノ・ルトケ

ルトケは18歳の頃から女性を強姦目的で襲っていたという。婦女暴行の現行犯で逮捕された彼は、ナチスドイツの政策もあって去勢された。だが、彼にとってそんなことはさほど影響なかったようで、ルトケによる連続殺人は1928年から始まる。

手口はいつも同じだった。女性を追い回して絞め殺すか刺し殺し、そしてその遺体を犯すのだ。どうやらルトケは意識のない女性にしか興味を持てない性質だったらしい。

ナチスドイツが台頭する混乱の時代。彼の犯行は発覚することなく、1943年までの15年間で少なくとも51人の女性を殺害したとみられる。

1943年3月18日、ルトケはついに逮捕された。ルトケは取り調べの中で85件もの殺人を自白した一方、裁判では知的障害をたてに無罪の主張を行った。結果として彼の主張は通ったが、ルトケは刑務所ではなくナチス親衛隊(SS)の運営する犯罪医学研究所に送られ、医学の研究の生きた実験台とされてしまった。

当局はルトケの事件についてあまり大事にしたくなかったらしく、彼の犯行の詳細について、現在ではよくわからない点が多い。ルトケがどのような実験に用いられたのかは不明であるが、1944年4月8日、もう役に立たないと判断され、薬殺された。

参考
Murderpedia 英語。画像はここから引用。

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