シリアルキラーの原型 テッド・バンディ

ハンニバル・レクター博士をはじめとする「ハンサムで頭脳明晰なシリアルキラー」というキャラクターにも元ネタが存在する。その名はテッド・バンディ。少なくとも30人以上の若い女性を殺害した連続殺人鬼である。

テッド・バンディ(Wikipediaより引用)

スポンサーリンク
レクタ大

父親を知らない子供

セオドア・ロバート・カウエルことテッド・バンディは、1946年11月24日に米国バーモント州バーリントンで私生児として生まれた。彼の生物学的な父親は現在も不明とされている。敬虔なクリスチャンだった祖父母は未婚の娘ルイーズの出産を恥じ、赤ん坊を一度施設に送り、それから自分たちの子供としてフィラデルフィアの家に迎え入れた。祖父は孫を溺愛したが、気性の荒い性格で度々家族に暴力を振るったという。

テッドが4歳のころ、母ルイーズは息子を連れてワシントン州タコマへと移住した。幼少期のテッドは実の母を姉だと信じていたようで、彼がいつ真実を知ったかは定かでない(この辺りについては以前別の記事にしている)。やがてルイーズはジョン・カルペパー・バンディという男性と結婚する。それに伴い、テッドもバンディ姓に改めたが、学もなく貧しい義父を嫌っていたという。

高校時代のテッドは成績優秀だが内向的であまり目立たない生徒だった一方で、窃盗などの犯罪にも手を染めていた。立証はされていないが、この時期にすでに殺人も犯していたのではないかという説もある。

大学に進学したテッドは、運命の女・ステファニーと出会う。長い黒髪を真ん中で分けた美女で、社会的底辺層の私生児という生まれにコンプレックを抱いていたバンディにとって、まさに理想の女であった。

テッドはステファニーとの交際にこぎ着けたが、飽きられてすぐに捨てられた。一時は大学にも通えなくなるほど落ち込んだが、自分を捨てたステファニーを見返すため、マナーを身につけファッションセンスを磨き、社交的に振る舞うようになった。心理学や演劇学を学び、「ハンサムで頭脳明晰な男」に生まれ変わったのだ。

ワシントン州の共和党事務所に出入りして選挙活動を手伝い、自殺救済電話相談室でのボランティアに励み、溺れた子供を救助して表彰されたこともあった。ただ、その一方で、覗きや窃盗を常習するようになっていた。彼はデパートや高級住宅地などに侵入し、高級な衣服や家電をたびたび盗んでいた。転売するためではなく、自分で使うためにだ。彼は自分の収入では得られないような高級品を好んでいた。

振られてから6年後のこと。テッドは再びステファニーの前に姿を現した。ロースクールに通い、共和党員としても高い評価を受ける前途有望でハンサムな青年テッドとステファニーは交際を始め、すぐに婚約した。だが、婚約からたったの二週間後、今度はテッドがステファニーを捨てた。かつてのお返しだとでもいうように。

テッドがシリアルキラーとして活動し始めたのは、ステファニーと別れた直後である。

怪物の誕生

公式記録に残る最初の事件は1974年1月4日のことだった。被害者はワシントン大学に通う18歳の女性で、テッドは彼女が暮らしていた地下室に侵入し、眠っていた被害者の頭をベッドのフレームで殴った上で性的暴行を加えた。一命を取り留めたものの、被害者には脳障害が残り、事件のことも覚えていなかった。

同年2月1日、二人目の犠牲者は友人とシェアしていた家の自室で寝ているところを襲われた。殴打され、気絶したところで連れ去られたのである。翌日、血まみれのベッドを同居の友人が発見し、警察に通報した。遺体の一部が一年後に発見された。

これ以降、テッドはおよそ一月に一人を殺害していった。左手にギブスをはめて怪我人を装い、目をつけた女性たちに「自分の車まで荷物を運ぶのを手伝って欲しい」と声をかけた。そして車に乗ったところで殴りつけ、気絶させて郊外まで運び、そこで殺害しレイプするというのが彼のやり方だった。この手口で、1974年の3〜8月までに7人が犠牲となっている。

被害者は皆、長い黒髪を真ん中で分けている10〜20代の若い女性ばかりだった。ステファニーと同じ髪色と髪型だった。

その年の秋にはワシントン州やオレゴン州の郊外で被害者たちの遺体が次々に発見され、警察も事件を把握し始めた。多くの情報提供があって、その中にはテッドの情報もあったが、誰もアメリカ的好青年が連続殺人犯だとは思わなかった。

8月、テッドはユタ州ソルトレイクへと引っ越した。ソルトレイクでの最初の殺人は10月2日だった。12月までにバンディは少なくとも5人を殺害している。手口は以前と同じで、怪我人を装って車まで誘導し、頭部を殴りつけて気絶させて誘拐し、殺害するという凄惨な者だった。

なおユタ州ではただ一人、その魔手から逃れた被害者が存在する。彼女は警官を装ったテッドに騙されて車に乗り、郊外へ連れ出されたが、手錠をはめられそうになったところで逃亡した。この情報がのちの逮捕につながった。

翌1975年、クリスマス休暇を終えたテッドはコロラド州で殺人を再開する。6月までに少なくとも5人が殺害された。

この年の8月16日、テッドはフォルクスワーゲンを運転していたところを警察に止められた。彼はなぜ自分が職務質問を受けているのかわからないという風情を通したが、警察が車を捜索すると、手錠やアイスピックにロープ、シーツの切れ端などが出てきた。そして以前にたった一人助かった女性が面通しして、自分を襲った犯人だと証言した。

脱獄と惨劇

逮捕されたテッドは誘拐の罪で禁固1〜15年の判決を受けた。警察は殺人事件でも起訴したが、この裁判中にテッドはとんでもないことをやってのけた。1976年6月7日、休廷中に裁判所の二階の窓から飛び降りて逃亡したのだ。バンディは山中に隠れたが、一週間後に捕まった。

刑務所に連れ戻されたものの、彼は諦めていなかった。弓のこで独房の天井に穴を開け、12月30日の夜に脱走したのだ。車を盗み、空港に行ってシカゴへと移動。さらに列車とバスを乗り継いでフロリダ州タラハッシーへとたどり着いたテッドは、偽名でアパートを借りた。

1978年1月15日深夜、テッドはカイ・オメガ女子寮に侵入し、就寝中の女子学生を次々に襲った。さらに別の寮を襲い、この夜だけで2人を殺害、3人が重傷を負った。以前の慎重さは消え、獣のような強暴性だけが残っていた。

2月9日、テッドは最後の事件を起こす。被害者は12歳の少女で、学校の前で連れ去られ、殺害された。2月15日、テッドは盗難車を飲酒運転しているところを逮捕された。

犯罪界のスーパースター

テッドの凶行は全米を驚愕させ、熱狂を巻き起こした。この後もテッドは自ら弁護を行う、裁判中に結婚する、その妻との間に一女をもうけるなどのスキャンダラスな行動で幾度となく脚光を浴びた。死刑判決を受けた後も、グリーンリバーキラー事件など連続殺人の捜査に協力するなど、話題には事欠かなかった。

彼の示した新しい犯罪者像——高等教育を受けた知性に溢れたインテリで、一見すると誰にでも好かれるハンサムな好青年が、裏では次々と女性を手にかける連続殺人鬼だった——はすぐに映画や小説のキャラクターとして流用され、人気を博した。「シリアルキラー」という言葉もバンディのために生まれたのだ。

1989年1月24日、バンディは電気椅子により処刑された。刑務所の周囲では処刑執行を祝って大勢が集まり、歓声を上げ、花火まで打ち上げたという。

参考
シリアルキラーズ -プロファイリングがあきらかにする異常殺人者たちの真実- ピーター・ヴロンスキー 青土社

スポンサーリンク
レクタ大