何も知らない善良な主人公が恐るべきモンスターの存在に気付き、命の危機に怯えながらもその存在を白日のもとにさらし、退治する。よくあるホラー映画の展開であるが、実際にそんな経験をした男が存在する。
エリザベート・バートリーあるいはバートリ・エルジェベート。16世紀後半から17世紀の初頭までの間に650人もの女性を殺したハンガリーの女貴族だ。某ゲームだとアイドル系美少女という訳のわからないキャラ付けをされているが(巨乳の女中をターゲットにしたという逸話から貧乳キャラにしているのに気付いた時はさすがに頭が痛くなった)、史実の彼女は自身の権力を笠に着て使用人の少女たちを虐殺したシリアルキラーである。エリザベートの悪行についてはWikipediaなどに詳しい。
彼女の悪事が明らかになるきっかけになったのは、一人の聖職者の勇気ある告発だった。彼の名はヤーノシュ・ポニケヌシュ。ルター派の聖職者で、1610年にエリザベートが君臨したチェイテ城の城下町の教会に配属された人物である。
吸血鬼を告発した男
ホラー映画の導入部では、モンスターの存在が人々に噂され、不安に怯えているシーンが挿入される事も多いが、ヤーノシュ・ポニケヌシュの場合もそうだった。配属先のチェイテ村に向かう道中、城に近づくにつれて、若い娘がバラバラにされて惨殺されているという不気味な噂や警告を耳にするようになったという。
到着したチェイテの町はピリピリとした雰囲気で、若い女性の姿はほとんど見られなかった。着任の挨拶に城へと赴いたヤーノシュは、伯爵夫人エリザベートに謁見する。彼女は病み上がりながらも美しく、とても礼儀正しかった。だが城の中には異様な緊張感が満ちており、不気味な沈黙に満ちていた。
教会の記録や書類を整理していたヤーノシュは、前任者が残した不気味で不可解な手記を見つけた。そこには伯爵夫人に雇われて死んだ女たちの異様に長い一覧が含まれていた。死因は決まって不自然で、前任者は嫌々ながらも、真夜中に人目をはばかるようにして埋葬していたようだった。
記録が本当だとするなら、あまりにも異常な事態であった。ヤーノシュはごく最近、城壁近くの地下納骨堂に一晩で9人埋葬したという記録を見つけ、早速納骨堂へと確認に赴いた。
納骨堂の扉を開けると、辺りには凄まじいまでの死臭が立ち込めた。部屋の隅には乱雑に積まれた九つの棺が置かれていた。釘すら打たれていない棺を開け、中を見たヤーノシュはひどくショックを受けた。
棺の中の死体はいずれも解体されており、真っ黒な血糊で覆われていた。いくつかは部分的に焼け焦げ、人間の歯型や噛みちぎられたような跡も残っていた。彼女らは明らかに拷問を受け、凄惨な死を遂げていたのである。
ヤーノシュは直ちに本部へと報告書を書いた。だが、その手紙を持たせた使者は町外れでエリザベートの衛兵に止められ、報告書は没収されてしまった。彼も急いでチェイテを出ようとしたが、衛兵に捕まってしまい、教会でじっとしているよう命じられた。
事態をいぶかしんだヤーノシュは、町の人々に何が起きているのかを聞いて回った。すると、前任者が何年にも渡って若い女性の死体を密かに埋葬していたこと、やがてはあまりの数の多さに埋葬を拒むようになったこと、それと同時に、周辺の運河や畑、森の中に多数の女性の死体が遺棄されるようになったこと……など次々と分かった。エリザベートの悪行に気づいているのが自分だけでないことを知り、ヤーノシュは慄然とする。
近辺の百姓たちは、ヤーノシュが来る前から娘たちの行方不明と不可解な死を王宮に訴え続けていた。だが、この時代、身分の低い百姓たちの声に耳を傾けるものはいなかった。だが、エリザベートが没落貴族の娘たちに手をつけ始めたことで状況は変わりつつあった。
この頃ヤーノシュは手紙に、真夜中の自宅でエリザベートが放ったという6匹の犬と猫に襲われたと書いている。彼はその攻撃をなんとか撃退したが、召使たちは誰もその動物たちを見ることはできなかったという。「これこそが悪魔の所業なのです」と彼は書き残している。こんなのはもう、ホラー映画そのものだ。
ヤーノシュはなんとか報告書を送ることに成功し、1610年12月27日、ハンガリー副王の部隊がチェイテ城を訪れ、エリザベートはついに逮捕されたのである。
参考
シリアルキラーズ 女性篇 ―おそるべき女たちの事件ファイル― 青土社 ピーター・ヴロンスキー
バートリ・エルジェーベト(Wikipedia) 文中の画像はここから引用。