そして犯人の皮膚は本の装丁にされた 赤い納屋殺人事件

クトゥルフ神話に登場する魔導書『ネクロノミコン』は人間の皮膚で装丁されていたとされる。ネクロノミコンはもちろんフィクションであるが、本の表紙に人間の皮膚を使う人皮装丁本は実際に存在し、ハーバード大学の図書館など世界各地に所蔵されている。

そんな人皮装丁本の一つが、イギリスのベリー・セント・エドマンズにあるモイス・ホール・ミュージアムに展示されている。一見すると赤茶けた革表紙のありふれた古書にしか見えないが、その表紙はウィリアム・コーダーという男の正真正銘の皮膚を用いている。一体なぜ、そんな本が作られたのか?

コーダーの皮膚を装幀にした本と彼のピストル

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赤い納屋殺人事件

1827年5月、イギリス東部サフォーク州ポルステッド。村のネズミ捕りの娘マリア・マーティン(25)と裕福な自作農のドラ息子ウィリアム・コーダー(22)は恋愛関係にあり、村の丘にある赤い屋根の納屋で逢瀬を重ねていた。

事件の現場となった赤い納屋

マリアはすでにコーダーの子供を産んでいたにも関わらず(子供はすぐに死んだらしい)、周囲は2人の結婚を許さなかった。若い2人は駆け落ちを決意して村から姿を消した。

しばらく経って、マリアから家族に宛てた手紙が届いた。そこには別の場所でコーダーとともに幸せに暮らしている旨が記されていた。だが、マリアの義母はその手紙を信じなかった。そもそも手紙はマリアの直筆ではなく、手に怪我をしているからと代筆されたものだった。

そんな中、義母は恐ろしい夢を見た。それはマリアがすでに殺されていて、コーダーと逢瀬を重ねていた丘の上の赤い納屋に埋められているというものだった。1828年4月19日、妻にせっつかれたマリアの父が赤い納屋を調べたところ、バラバラにされ、袋に入れられたマリアの遺体が見つかったのである。

コーダーの行方はすぐに判明した。彼は別の女と結婚してロンドンで暮らしていた。コーダーは結婚を迫るマリアに辟易しており、駆け落ちを装って彼女を殺害して逃げたのだ。逮捕されたコーダーは事故だったと弁解したが、裁判では死刑判決が下り、彼は絞首刑の後に解剖されることが決まった。

この事件は当時のマスコミによって大きく報じられ、大変な話題になっていた。1828年8月11日に行われたコーダーの絞首刑には数千人が見物に訪れ、5000人が公開解剖を見に来たという。彼の体は詳しく検分されて記録され、デスマスクが作成された。その骨格は標本にされてハンテリアン博物館に展示され(2004年に火葬されたという)、剥がされた皮膚はなめされて、自身の人生と犯行の記録を記した本の装丁に使われたのである。

殺人事件の記念品

当時、殺人事件は庶民の娯楽であり、殺人現場に残された遺留品や現場の物品、そしてもちろん犯罪者の持ち物や体の一部は見世物になり、好事家の間で高値で取引されていた。

ポルステッドには見物人があふれ、マリアの墓石や赤い納屋の建材の一部などが持ち去られた。コーダーの体の一部も当然、「記念品」として珍重されたのである。モイス・ホール・ミュージアムには彼の黒く変色した頭部も所蔵されているそうだ。

参考
イギリス風殺人事件の愉しみ方 ルーシー・ワースリー NTT出版
Moyse’s Hall Museum 英語。本とピストルの画像はここから引用。
Wikipedia 英語。赤い納屋の絵はここから引用。

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