ヤクザ一家の杜撰な殺人計画 大牟田4人殺害事件

何事もそうだが、一人でやるより二人で、さらにはもっと大勢でやったほうが効率が良いものだ。当然犯罪も同じで、夫婦や家族が共犯になるのはそうそう珍しくないのだが、一家揃って死刑判決というのはかなり珍しい事例だ。2004年に福岡県大牟田市で起きた強盗殺人・死体遺棄事件の犯人である北村一家は、まさにそのレアケースといえる。

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借金苦の弱小ヤクザ

北村一家の父・北村實雄(犯行当時60)は道仁会系のヤクザで、北村組組長という立場であった。外面は良いが身内には厳しい、ヤクザらしい性格の男だったという。しかし、ヤクザへの風当たりの強い昨今、弱小ヤクザの経営は厳しい。シノギも組員も減る中、表の家業である土建業の仕事も少なくなり、上納金や生活費にも困窮する有様であったという。

實雄と妻の真美(45)の間には孝(23)と孝紘(20)という二人の息子がいた。二人とも体格が良く、過去には相撲部屋に入門していたこともあったが、すぐに廃業して実家に戻っている。中学生の頃から暴力団や暴走族と関わっており、その暴力性と悪名は地元ではよく知られていた。長男は過去に後輩を暴行して殺害し、懲役3年6ヶ月の実刑を受けたこともある。また次男も父親の罪をかばって覚せい剤取締法で逮捕歴があった。

金に困っていた一家は、違法の貸金業を営む高見小夜子さん(58)から6800万円以上の借金を背負っていた。窮乏する北村組に対し、北村組というヤクザの威光を笠に着て大儲けしていた高見さん。ヤクザものの妻にふさわしい女傑であり、夫を尻に敷き兄弟も頭が上がらない母・真美ですら、高見さんには媚びへつらうしかなかった。自分たちを顎で使う高見さんに対し、北村一家の不満は募る一方だった。

第一の犯行

鬱憤の溜まった北村夫妻は、ついに高見さんの殺害を決意する。夫妻と長男・孝は、高見さんに架空の土地取引を持ちかけて多額の現金を用意させた上、殺害してその金を奪うという計画を立てた。計画はうまくいき、高見さんは夫妻の話に乗り気になって現金2千万円を用意すると請け負った。

だが、近く子供が生まれるなど金を必要としていた孝は、両親を出し抜いて自分が先に金を奪うことを計画する。少年院から出所したばかりで計画にもタッチしていなかった弟の孝紘に多額の分け前を約束し、高見さん宅の襲撃と殺害の協力を依頼したのである。

2004年9月16日、兄弟は高見さん宅に向かった。その時家にいたのは、高見さんの次男で高校生の穣吏さん(15)だけだった。兄弟と穣吏さんは顔見知りだったため、二人は簡単に家に上がりこむことができた。隙を見て孝紘が穣吏さんを絞殺、家探しして金庫を盗み出した。

穣吏さんの遺体と金庫を車に積んで走行中、なんと穣吏さんが息を吹き返した。孝紘は再度穣吏さんの首を絞めて殺害し、遺体にコンクリートブロックをくくりつけて川に投げ捨てた。

苦労して持ち出した金庫には貴金属しかなく、目的の現金は入っていなかった。孝紘は自分の身分証を使って金庫の中身を質入れし、10万円程度の現金をようやく手に入れた。うち、孝紘に渡ったのはおよそ4万円だったという。

第二の犯行

9月17日、母・真美が高見さんを呼び出し、睡眠薬を持って彼女を眠らせた。そして18日深夜、眠り込んだ高見さんを車に乗せて大牟田市内の公園まで移動したのち、車内で絞殺した。殺害したのはまたしても次男の孝紘であった。

死体を車に乗せたまま、一家は高見家へと向かった。高見さんの長男・龍幸さん(18)を殺し、自宅にあると思われる現金を奪うためである。高見家の前で一家は龍幸さんの車と出くわした。龍幸さんは友人の原純一さん(17)と共に、行方不明の穣吏さんをあちこち探し回っていたのだ。

自分たちも穣吏さん探しを手伝っていると嘘をつき、一家は龍幸さんたちと共に人気のない深夜の工業団地へと向かった。到着後、孝紘はまず原さんの頭部を銃で撃ち、続いて龍幸さんの頭も撃ち抜いた。二人とも一撃では死ななかったため、孝紘は父親の指示通り、二人の胸部をさらに撃った。だが原さんはそれでもまだ生きており、孝紘の手によりアイスピックで刺し殺された。

家は三人の遺体を高見さんの車に乗せ、諏訪川に沈めた。そして高見さん宅へと向かい、再び家探しをした。家の中には犬が一匹いたが、キャンキャン吠えてうるさいので父親と次男が蹴り殺したという。

なお、兄弟はこの時点でも穣吏さん殺害を両親には伏せていた。金庫がないのを不審に思われないよう、穣吏さんが金庫を持って家出したと苦し紛れの嘘までついていた。両親に穣吏さん殺害を告白するのはもう少し後のこととなる。

家探しにより一家は金庫を発見するも、中身は権利書などの書類ばかりで金目のものは見つからなかった。目当ての大金は結局一家の手には入らなかったのである。

犯行発覚、そして

2004年9月21日、次男の遺体が発見され、北村夫妻は警察に身柄を拘束された。翌日逮捕された真美の供述により、川底から高見さんの車と三人の遺体が発見された。實雄は隠し持っていた銃で自らの頭を撃ち、自殺を図ったものの命に別条はなかった。

兄弟は事件後も何食わぬ顔で暴力団事務所に出入りしており、事件発覚後も素知らぬふりを通したが、孝紘と孝も相次いで逮捕されることとなる。その後の11月13日、孝は検察の支部から脱走する騒ぎを起こしている。

事件の詳細は未だに不明の部分も多い。裁判で一家は内輪揉めをし、被害者への暴言などを繰り広げ、真相究明に非協力的だった。父は一人で罪を背負おうとした一方、母と兄弟はお互いに罪をなすりつけあった。

とりわけ長男の孝は自分が犯行に関わっていたことを否定し続けた。彼は最初から弟に罪を被せる気であり、犯行中もただ一人冷静に証拠を残さないように気を配っていた。だが、Nシステムの画像により犯行への関与が証明されている。また、裁判では母・真美が犯行の主導者であると認定された。

一審、二審とも家族四人に死刑判決が下った。そして2011年10月3日、最高裁は上告を棄却し、母・真美と次男・孝紘の死刑が確定、続く10月17日には父・實雄と長男・孝の死刑判決が確定した。

参考
全員死刑: 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記 鈴木智彦 小学館文庫 次男・孝紘の獄中手記を含む。2017年11月に映画化(タイトルは『全員死刑』)。

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