おもちゃ箱の殺人鬼 デイビッド・パーカー・レイ

1999年3月22日の午後、アメリカ合衆国ニューメキシコ州の砂漠地帯で一人の女性が保護された。女性の名はシンシア・ヴィジル。彼女は裸で頭などをひどく負傷しており、鎖のつながった南京錠つきの首輪をつけていた。彼女の通報により、ニューメキシコ州トゥルース・オア・コンシクエンシーズに住む一人の男が逮捕された。

トゥルース・オア・コンシクエンシーズは砂漠の中にある人口7000人ほどの小さな町だ。町には名物である鉱泉やレジャー拠点として人気のあるエレファント・ビュッテ湖などがあり、現地では保養地として知られているという。町名が少し変わっているのは、1950年代に人気だったラジオ番組のタイトルにちなんでいるからだ。
そんな小さな町の警察は、男のトレーラーハウスを捜索して仰天した。そこには山ほどの拷問道具や拘束用の鎖などが詰め込まれ、犯罪の様子を録音したテープが並んでいたのだ。

男の名はデイビッド・パーカー・レイ。彼は何と10万ドルもの大金をかけてトレーラーを改装し、拷問のための設備や道具を整えていた。彼はこのトレーラーを『おもちゃ箱(Toy-box)』と呼び、数十人もの女性を拷問して殺害した疑いがかけられている。

スポンサーリンク
レクタ大

拷問にとりつかれた男

david_parker_ray

勾留中のデイビッド・パーカー・レイ(wikipediaより)

レイは1939年11月6日にニューメキシコ州で二人兄弟の兄として生まれた。子供の頃は祖父と暮らしていた。父親は会うたびに彼を虐待し、母親とは会ったこともなかったそうだ。
ハンサムだったらしいが、学生時代は女性に対してシャイだったという。10代のうちにアルコールとドラッグを覚え、同時に女性に対する暴行や拷問に興味を抱き始めた。この頃のレイがサディスティックな絵や写真を所持しているのを、彼の妹が目撃している。高校を卒業後はメカニックとして働き、軍役にも就き、名誉除隊している。

レイが『おもちゃ箱』を作り、女性をその毒牙にかけ始めたのは1950年代の頃からだったようだ。彼は監禁した女性をお手製の拷問具で痛めつけ、脅し、その様子を録音・録画していた。レイは被害者に薬物を投与し、その記憶を曖昧にして解放した。だが、おそらく14〜60人の女性が拷問の末に殺されたとみられている。

シンシアの通報によりレイが逮捕されると、アンジェリカ・モンターノという女性が自分も被害にあったと名乗り出てきた。彼女はかつて警察に被害を訴えたものの、取り合ってもらえなかったと話した。
また、レイが所持していた1993年のビデオテープに映っていた被害者の一人、ケリー・ギャレットもコロラド州で生存していることが分かった。

FBIは100人もの捜査員を派遣して捜査に当たったが、レイの犠牲者の遺体は一つも発見されなかった。証拠にも乏しかったため、レイは無罪を主張し、裁判は混乱した。また、裁判の直前にアンジェリカが病死したため、彼女の事件についての裁判は行われなかった。

だが、最終的には共犯者の証言により、レイは有罪となった。

共犯者の一人は逮捕されたとき一緒にいたガールフレンドのシンディ・ヘンディ。逃げ出そうとしたシンシアを捕まえてランプで頭を殴りつけたが、アイスピックで刺され、シンシアの逃亡を許した。彼女は捜査に協力的だったため、懲役36年の刑となった。
また、別の共犯者デニス・ヤンシーは前の恋人マリー・パーカーをレイと共に誘拐・拷問し、絞殺した罪で有罪となり、二度の懲役15年の刑に処された。

そして驚くべきことに、レイの実の娘グレンダ・ジーン・レイも共犯者として誘拐罪で逮捕されている(レイには4度の離婚歴があり、二人の娘がいる)。だが、レイは彼女の罪を軽くする代わりに、罪を認める取引に応じた。結果、娘は懲役9年、執行猶予6年に保護観察5年の刑となり、レイには懲役224年の刑が言い渡された。レイにできる、娘への最大の贈り物だった。

2002年5月28日、レイはリー郡の刑務所で心臓発作で死亡した。享年63。

参考
David Parker Ray (wikipedia) 英語

スポンサーリンク
レクタ大