殺人事件現場が後に心霊スポットとして有名になることは日本でもよくあることだが、現場の家がそのまま保存され、街の観光名所になることはまずない。
だが、アメリカでは事情が違う。有名な殺人事件の起きた家が記念館となり、宿泊施設になっている。もちろん、現場となった部屋にも泊まれ、その壁にはご丁寧にも犯行直後の写真が飾られているという。写真の遺体と同じ体勢を取って撮影するのがお約束なんだとか。
リジー・ボーデン事件とは
1892年に起きたリジー・ボーデン事件はアメリカでは大変有名な殺人事件である。
事件が起きたのはマサチューセッツ州フォールリバーの閑静な住宅地にある家だ。
1982年8月4日の午前11時頃、家の主であるアンドリュー・ジャクソン・ボーデン(70)とその妻アビー(64)が殺害されているのが発見された。第一発見者はアンドリューの次女リジー(33)。前妻の娘なので、アビーとは血縁関係にない。
検死の結果、アンドリューは手斧で頭部を何度も切りつけられており、アビーも後頭部を何度も殴打されていた。
家にいたのは被害者のほかに、リジーとメイドのブリジット・サリヴァンしかいなかった。
リジーによると、納屋にいたら母屋から父親の悲鳴が聞こえ、行ってみると死んでいたということだった。ブリジットは屋根裏部屋の自室で休んでおり、リジーの叫び声で目を覚ましたという。
しかし、検死の結果、二人の死亡時刻は午前9時頃だと推定された。また、リジーが遺産を巡って継母のアビーを恨んでおり、厳格な父親にも不満を募らせていたことが分かった。事件の二日前には青酸を買おうとして失敗していることも発覚した。
かくしてリジーは殺人犯として逮捕された。だが、陪審員は彼女を無罪と評決した。ボーデン家は地元の名士で、コネのあった各所が彼女の無罪判決を働きかけたという。真犯人は未だに不明であるが、リジーだったという考え方が一般的だ。
無罪放免となったリジーは莫大な遺産を相続した。さすがに居心地が悪かったのか、すぐに別の高級住宅地に引っ越して、その後は姉と共に贅沢に暮らしたという。
リジーは1927年、66歳で死去した。
惨劇の屋敷は心霊スポットに
一方、惨劇の舞台となった屋敷では幽霊が現れたり不気味な声が聞こえたりと、心霊スポットとして有名になっていった。
そして現在、家はLizzie Borden Bed and Breakfast Museumとして一般に公開されている。ここにはリジー本人の幽霊も出ると噂されており、宿泊客やスタッフが何度も目撃しているという。
参考
リジー・ボーデン(wikipedia) 画像はここから転載。
Lizzie Borden House (Trip Advisor)