楽園の崩壊 ユニバース25実験が示すのは人間社会の終焉か

住む場所にも食べ物にも困らない「楽園」で、生物はどのように振る舞うか? 種の生存に必要なあらゆる資源を無制限に提供する「理想郷」が、個体群の社会にどのような影響を与えるか? アメリカの動物行動学者ジョン・B・カルフーンは、かつて大規模なネズミの社会行動実験を行った。その中でも特に有名なのが「ユニバース25」と呼ばれる実験である。

スポンサーリンク
レクタ大

人為的な「ネズミのユートピア」

1968年から1972年にかけて行われた「ユニバース25」は、カルフーンが長年行ってきた過密実験の集大成ともいえるものだった。

カルフーンは1940年代後半から、ノルウェーラット(ドブネズミ)を使った「ラット・シティ」実験や、後の「行動の崩壊」の概念を生み出した実験を行ってきた。初期の実験では、ラットの個体数が予想される収容能力を大幅に下回る約150~200匹で安定し、それ以上増加しなかったことが示されている。これは、物理的な空間ではなく、社会的な相互作用の機会が個体数の上限を決定する可能性を示唆していた。ユニバース25は、その限界をさらに探る試みであった。

ユニバース25の実験環境は、約2.7メートル四方の密閉空間。食料、水、安全な巣箱が用意され、疫病の発生や捕食者の侵入といった危険からも遠ざけられた、まさに「ネズミのユートピア」だ。このユートピアに4組8匹のネズミが放たれ、実験はスタートした。

実験場にいるカルフーン(Wikipediaより)

ユートピアの始まりと崩壊

実験開始から104日目に最初のネズミの子供が生まれた。これ以降個体数は約55日ごとに倍増するという爆発的な増加を見せた。しかし、個体数が2,200匹に達した頃、個体群の増加は停止し、社会構造の病理が露呈し始めた。カルフーンは、この社会崩壊の過程を明確なフェーズに分けて観察した。

まず、社会的な緊張と過密ストレスにより、繁殖や子育てといった生存に不可欠な行動が機能不全に陥った。オスはテリトリー防衛の役割を放棄し、無差別な攻撃行動や、同性愛、汎性愛といった性的逸脱が増加した。メスは巣作りを放棄し、自らの子を放置したり攻撃したりする行動が見られ、新生仔の死亡率は極めて高くなった。

次に、社会的な関わりを完全に絶つ個体が出現した。彼らは集団での争いや繁殖行動に一切参加せず、ただ食事と毛づくろいだけを繰り返した。カルフーン博士は、この自己陶酔的な、社会から完全に引きこもった集団を「ビューティフル・ワン(美しい者たち)」と名付けた。この集団は種の存続に必要なスキルをすべて失っていたという。

最終的に、コロニーの繁殖は完全に停止し、人口は回復不能なレベルまで減少し、絶滅に至った。これは食糧や水が無限にあるにもかかわらず起こったことであり、社会的な役割の喪失こそが種を滅亡させるという、カルフーンの仮説を裏付ける結果となった。

「死の二乗」が示す本質的な滅亡

カルフーンは、この実験結果から導き出される恐るべき論理を、ユニバース25についてまとめた論文「Death squared: The explosive growth and demise of a mouse population」の最後に、独自の方程式と聖書の引用を用いて表現した。

カルフーンの論文(Death squared)より

彼は、捕食者や病気による肉体の死を「第二の死」と定義した。そして、ユートピアでこの肉体の死が抑制される状況を、逆説的に「(死)の二乗」と表した。この「死の二乗」、すなわち過剰な充足と安全が、社会組織を崩壊させる引き金となるというのだ。

この社会組織の崩壊がもたらすのは、種の生存に不可欠な行動能力の喪失であり、これを肉体の死に先立つ「精神的な死」、すなわち「最初の死」だとカルフーンは定義した。

つまり、「死の二乗」は最初の死を導くのである。物理的な安全を得たとしても、生きるための目的や、他者との複雑な関わりが失われることで、生命体は精神的、社会的に先に滅びてしまうという警告である。

この論理に続くのが、『箴言』3章からの引用である「知恵を見いだす人、理解を得る人は幸いである」という言葉だ。ユートピアのネズミたちが過剰なストレスにより社会的な「知恵」や「理解」を失ったことと対比し、物質的な豊かさではなく精神的な能力こそが真の平和と生存をもたらすのだと、カルフーンは論文をそう締めくくった。

ネズミの楽園=現代社会?

近年、ユニバース25は少子高齢化や非婚化の原因を示す実験として取り沙汰されることも多い。育児放棄や引きこもりを思わせるビューティフル・ワンの存在など、確かに現代の社会問題を先取りしたような内容ではある。

しかし、他の研究者による再現実験に成功していないなど、科学的には多くの問題が指摘されている。また、論文の最後が聖書の引用で終わっているように、カルフーン自身の宗教的思想が強く影響した研究である。

発表直後から「現代社会への警告」として人気のあるユニバース25であるが、あくまで密閉空間におけるネズミ社会の一つの結末でしかない。当時から現在に至るまで、その時々の社会問題に絡めてセンセーショナルに伝えられがちなユニバース25であるが(これはカルフーン自身が望んだことでもある)、安易に人間の社会に重ねるのはいささか乱暴な話であろう。

ジョン・B・カルフーン(Wikipediaより)

参考

Death squared: The explosive growth and demise of a mouse population カルフーンの論文
John B. Calhoun (Wikipedia) 画像はここから引用

スポンサーリンク
レクタ大