ピョートル大帝の二つの首 妻の浮気相手とその妹を処刑して首を保存させたのか?

少し前、クンストカメラの記事に妙にアクセスがあった。どうもクンストカメラにウィレム・モンスとその妹の首が収蔵されているというつぶやきがバズり、その関連でサイトを見てくれた人がいたらしい。

ウィレム・モンスの首はクンストカメラに存在するようなのだが(実はちょっと怪しい)、その妹の首もあるという話についてはどうにもよく分からない。前の記事を書いた時もちょっと調べてみたが、結局よく分からなかったので適当に濁した。

せっかくなので、今回はもうちょっと真面目に調べてみようと思う。とはいえ、そのために現地に行けるわけでもなく、専門書籍を漁るだけの知識も時間もない。日本語以外の情報を中心に調べてはみたが、英語はともかくロシア語はGoogle翻訳頼みである。そして、いわゆる「ソースはWikipedia」なので信憑性は保証しないこともあらかじめ付け加えておく。

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ウィレム・モンスとは何者か?

まずは、今なお首だけが保存されているウィレム・モンスについて簡単におさらいしよう。

ウィレム・モンス(1688-1724)はオランダの商家の生まれながら、ピョートル大帝の側近の一人として取り立てられ、宮廷では皇帝妃エカチェリーナ(後のエカチェリーナ一世その人)の秘書官という地位を得た。だがエカチェリーナとの不倫がピョートル大帝の怒りを買ったため、横領などの罪を着せられた挙句、投獄・斬首された。ピョートル大帝は戒めとしてその首をアルコール漬けにし、妻の寝室に飾らせたという。

件のつぶやきによれば、ウィレムの妹が同時に処刑され、その首もアルコール漬けにされたという。該当しそうな人物として、ウィレムの姉アンナと妹マトリョーナがいる。

エカチェリーナ一世

ウィレムの妹・マトリョーナ

まずは妹のマトリョーナについて。

マトリョーナは軍人の夫を持ち、ピョートル大帝夫妻の庇護のもと、兄ウィレムとともにかなりの権勢を誇っていたらしい。兄の逮捕時には共犯を疑われ、厳しい尋問を受けたようだ。だが、彼女は兄とは異なり処刑はされなかった。兄が処刑された直後の刑場で鞭打ち刑に処された後、モスクワを追放されている。ピョートル大帝の死後、女帝となったエカチェリーナ一世は彼女をモスクワに呼び戻している。

つまり、ウィレムとともに首を切られて保存されたのはマトリョーナではない。では、ウィレムの姉・アンナだったのだろうか?

ピョートル大帝の愛人だった姉・アンナ

アンナ・モンス(1672–1714)はピョートル大帝がエカチェリーナと結婚する前に交際していた女性である。ピョートル大帝も彼女を深く愛していたようで、本妻を修道院に追いやってまで交際していたという。ピョートル大帝をめぐる人間関係の重要度でいえば、結婚まで考えていた愛人アンナの方がウィレムよりはるかに上である。ウィレムやマトリョーナがピョートル大帝の信を得られたのも、元々はこの姉のおかげであった。

さて、アンナはピョートル大帝との結婚を望んでいた。ピョートル大帝も一時はかなり乗り気だったらしいが、やがて彼の寵愛はアンナからエカチェリーナに移ってしまう。夢破れたアンナは別の男性と結婚しようとするが、この裏切りはピョートル大帝の怒りを買い、逮捕されて自宅に軟禁されてしまう。最終的に軟禁は解かれて結婚も認められたが、その夫は1711年に死去。アンナ自身もその3年後の1714年に結核で病死した。

ピョートル大帝

アンナはウィレムが処刑される10年も前に死亡している。彼女の首が死後に切り落とされて保管されていたということだろうか? だが生前いかに愛した人であろうと、皇帝がその首を切り落として保管した可能性は限りなく低い気がする。確実な肖像画すら残っていないアンナの頭の実物が残っているなんて、冗談にしてもキツい。

大体、そんな強烈なエピソードがあるならWikipediaにも書かれていてもおかしくない。ウィレムの首についてはきっちり書かれているのだ。だが検索した限りでは、こんなおどろおどろしいエピソードはどこにも書かれていなかった。

クンストカメラに「ウィレムの妹の首」はあるのか?

ウィレムが処刑された時、その姉妹であるアンナやマトリョーナが見せしめとして一緒に殺された事実はまずないと見て間違いない。そしてその首が保存されたということも。そもそも、クンストカメラに「ウィレムの妹の首」なんて存在しないのではないだろうか。

だが、日本語版Wikipediaのクンストカメラの項目には「もっともグロテスクな所蔵品は、大帝の妻・エカチェリーナ1世の愛人であったウィレム・モンス (Willem Mons)と彼の妹アンナ・モンス(Anna Mons)の頭部をアルコール漬けにした標本である」という記述がある(2018年6月現在)。ただ、このような記述は英語版にも(多分)ロシア語版にも存在しない。姉であるアンナを妹としていることから正確性にも欠けている。

個人的にはこの話、ちょっとした勘違いが元になったただの噂ではないかと思っている。というのも、調べているうちに一つ、気になる情報が見つかったからだ。

クンストカメラにはかつて、ウィレムの首とともに保管されていた美しい女性の首があったという。エカチェリーナ二世の時代にクンストカメラの収蔵品を管理していた人によれば、この首はメアリ・ハミルトン(マリーヤ・ガミルトン)という女性のものだとされる。彼女はピョートル大帝の愛人の一人だった。

第三の女性メアリ・ハミルトン

メアリ・ハミルトンはスコットランドの貴族の家系に生まれ、エカチェリーナの女官となった後、ピョートル大帝に見初められて愛人となった女性である。3度妊娠し、うち2回は堕胎、3度目の時は出産直後に溺死させたという。子供の父親がピョートル大帝だったのか、それとも別にいたという恋人だったのかは分からない。1717年、中絶と嬰児殺しの罪でメアリは告発され、斬首された。

経緯は分からないが、彼女の首もウィレムのように保存され、18世紀の終わりごろまでクンストカメラに保管されていたらしい。Wikipedia(ロシア語版)の記述によると、ピョートル大帝は斬首されたメアリの首を拾い、その唇にキスしてから投げ捨てたという。事実であるなら複雑な愛憎を感じさせるエピソードである。

処刑を待つメアリ・ハミルトン

もしピョートル大帝が愛人の首を保存していたとしたら、おそらくそれはアンナではなく、このメアリのものだったのではないだろうか。ウィレムとともに保管された愛人の首の話を聞いた人が、それを著名な愛人であるウィレムの姉アンナのものと勘違いするのも、それほど無理はないように思う。

だがこの説には大きな問題が一つ。現在、メアリの首の行方は分からないらしいのだ。18世紀末、エカチェリーナ2世の時代にウィレムの首共々埋葬されたという話もあれば、イギリス人によってどこかへ持ち去られたという話もあり、別の頭部標本と交換されたとも。そもそもメアリの処刑は斬首ではなく、火刑だったという話もあって……

いろいろ書いたが、Wikipedia中心にネットで調べただけなので、この記事の信憑性は一切保証しない。そもそも、ウィレムのWikipedia(ロシア語版)によれば、彼の首も19世紀には行方知れずとなっているという。ロシア史に詳しい人から「ウィレムの首もアンナの首も有名だよ」と言われたらそれまでだ(知ってる人はぜひ教えてください)。クンストカメラに行けば確認できるはずなので、いつか自分の目で確かめたいものだ。

参考
アンナ・モンス(Wikipedia 英語版)
ウィレム・モンス(Wikipedia 英語版)
ウィレム・モンス(Wikipedia ロシア語版)
マトリョーナ・モンス(Wikipedia ロシア語版)
メアリ・ハミルトン(Wikipedia ロシア語版)

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