理想の花嫁のつくりかた 18世紀イギリス紳士のリアル光源氏計画

幼女を引き取り自分の理想の花嫁に育てる。日本最古の物語である源氏物語にも描かれた男の夢の一つであるが、これを実際に行った人物が18世紀のイギリスに存在する。

男の名はトマス・デイ。資産家であり、高い教育を受けた児童文学作家であり、奴隷廃止論者としてアメリカの独立に影響を与えた慈善活動家でもある。本来の意味でも間違いなく紳士であった。

だが、彼は孤児院から11歳と12歳の美少女二人を引き取り、自分好みの花嫁として教育するという、物語中のイケメンにのみ許された行為を実際に行ったことで知られている。

トマス・デイの肖像画

トマス・デイの肖像画

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18世紀非モテ男の悲哀

トマス・デイは1748年にロンドンに生まれた。生まれて間もなく父親が死に、その莫大な遺産を相続した。大学まで通い、高い教養と学問を身につけた彼は、当時としてはかなり進歩的な考え方をしており、奴隷解放運動にも関わっていた。

だが、彼はモテなかった。

流行や身なりに無頓着で、上流階級にふさわしくない行為をする変わり者……というのが周囲からの評価だった。年若い資産家とあって、当然結婚話もいくつかあったようだが、全て流れてしまった。彼を振った女性らには見る目がない、と誹るのはちょっと早い。ここで、彼が妻に求めた条件を見てみよう。

・聡明で博識で機知に富む
・若く美しい
・都会の悪習にも現代の思想にも染まっていない
・田舎の禁欲的な生活にも耐えられる丈夫な体
・もちろん処女

面白いのは現代のいわゆるキモオタの感性にも通じていることだろうか。だが、こんな条件を満たせる女性は、18世紀イギリスの貴族社会にも滅多に存在しなかった。この理想を突きつけられた女性たちは(当然だが)デイの元から去っていた。

理想の花嫁育成計画

その頃、ジャン=ジャック・ルソーの『エミール』が大ヒットしていた。この小説で説かれた教育論に感化されたデイは、リチャード・ラヴェル・エッジワースという教育者と親しくなり、その活動を支援していた。

そんな中、相変わらず結婚できないでいたデイは考えた。

完璧な妻が見つからないなら、自分で育てれば良いのでは?

デイは孤児院から12歳の少女を引き取り、サブリナと改名させた。さらに、保険をかける目的で、もう一人11歳の少女を引き取ってこちらはルクレティアと改名させた。二人のうちどちらかが理想通りに育てば良いという考え方だった。

少女二人はデイの下で、家事はもちろん、様々な学問を学んだ。しばらくして、デイは忍耐強く賢いサブリナを選び、ルクレティアを奉公に出してしまった。要するにお払い箱である。

そして、一人を選んだデイの教育は異常な方向に進んでいった。忍耐力をつけるため、サブリナの肩にロウを垂らしたり、池の中に投げ込んだりしたというのだ。虐待行為はエスカレートし、彼女はピストルで服を撃たれたこともあったという。

やがてサブリナは自分の扱いに文句を言うようになっていった。周囲の勧めもあり、デイはサブリナを寄宿学校に入れた。そこはいわゆる花嫁学校であったが、デイは家事や学問はともかく、ダンスや音楽は教えるなと要求した。学校を出ると、サブリナは針子の修行をしたりデイの友人宅で家政婦をしたり、花嫁修行の総仕上げが行われた。

18歳になったサブリナは、デイにとって理想的な女性に成長したように思われた。彼はサブリナに求婚し、一度は結婚式が行われる運びになった。しかし、ささいなことで腹を立てたデイを恐れ、サブリナが逃げ出し、結局この結婚も流れてしまった。デイはサブリナに年50ポンドの奨学金を与え、二度と会わないと決意した。

その後、サブリナはデイの知り合いの男性と結婚することになるのだが、その際に、自分が最初からデイの花嫁として養育されていたことを知り、当然ながら大変なショックを受けることとなる。

サブリナはその思いの丈を手紙に綴り、デイに送ったが、彼はそれが真実だと認めただけで謝罪はしなかった。デイはサブリナの結婚を認め、もう二度と連絡を取らないと伝えた。

前代未聞の花嫁育成計画はこうして幕を閉じたのである。

サブリナ75歳時の肖像

サブリナ75歳時の肖像

参考
理想の花嫁と結婚する方法: 児童文学作家トマス・デイの奇妙な実験 ウェンディ・ムーア
Sabrina Sidney (Wikipedia En) 英米ではよく知られている話のようで、Wikipediaにはサブリナの記事もある。記事中の画像もWikipediaから転載。

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