ロシア・ウラル山脈北部のホラチャフリ山(地元少数民族の言葉で「死の山」を意味する)にディアトロフ峠と呼ばれる場所がある。1959年2月1日の夜〜翌2日の未明の間に、この峠でスノートレッキング中の男女9人が不可解な死を遂げるという事件が起きた。
2月26日、そのうちの5人の遺体が見つかった。彼らのテントは内側から切り裂かれ、荷物は置き去りだった。遺体は下着姿や裸足で、キャンプに戻ろうとしていたような形跡もあったが、戻ることはできずに不幸にも命を落とした。検死により、死因は低体温症と判明した。
雪崩がキャンプを襲い、パニック状態で服や靴もろくに身につけずに飛び出た挙げ句、摂氏マイナス25〜30度程度の気温により低体温症に陥って衣服を脱いでしまい(矛盾脱衣というそうだ)、亡くなったのだと推定された。
しかし二ヶ月後、残り4人の遺体が発見されると状況は一変した。
彼らの遺体は5人よりキャンプから離れた渓谷の中で、雪に埋もれた状態で見つかった。彼らは服装こそいくぶんまともだったものの(先に死んだ仲間の衣服も身につけていた)、そのうち3人の遺体にはひどい損傷が見られた。
頭蓋骨や胸の骨に交通事故にでもあったような骨折がみられたが、奇妙なことに、なぜかその体に外傷はなかった。また、そのうちの一人の遺体は舌がなくなっていた。さらに、彼らの衣服からは高いレベルの放射線が検出されたという。
原因は何だったのか?
以降、この事件の原因について、様々な説が取りざたされるようになった。
当初は地元先住民による襲撃という説もあったが、亡くなった9人以外の足跡は見つからず、争ったような形跡もなかった。また、当の先住民らはトレッカーに好意的で、捜索活動にも協力的だった。
続いて噂されるようになったのは、ソ連軍の秘密兵器実験という説だった。また、この地域は大陸間弾道ミサイルの発射試験場にも通じる道の途上にある。事件の前後にミサイル実験が行われていたことも、事件の真相が軍の機密に関わるという説の信憑性を裏付けた。また、事件の前後に近隣で謎の光を見たという証言も出ていた。
事件の原因は分からないまま、どういうわけか捜査は中止された。報告書では「未知の不可抗力により死亡」という結論が記され、事件後3年間、現場への立ち入りを禁じた。
遺体の不可解な状況から、UFOや超常現象との関係も指摘されている。ソ連が崩壊し、1990年代に入ると、事件の記録が公開されて関係者が重い口を開き始めた。事件の際に目撃された光球や、犠牲者のカメラで最後に撮影された不明瞭な「光る物体」はミサイルなどではなくUFOなのではないかという説が注目を集めた。
また、イエティに襲われたのではないかという説も唱えられた。この辺りには昔からイエティの伝説があるのだという。
事件のあったディアトロフ峠というのは、一行のリーダーであるイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフの名にちなんで名付けられた。21世紀に入ってからも、ロシアではこの事件の真相究明活動は続いている。むしろ、事件当時より今の方が熱心なのかもしれない。現地にはディアドロフ財団なる、事件の記憶を留めようと活動している人々もいる。
世界的に高まる注目
2013年には映画『ディアトロフ・インシデント』も公開されている(日本での配給はアルバトロスなので、内容については……)。ディアトロフ峠事件は、ミステリーとしてもエンターテインメントの素材としても注目を集めつつある事件なのだ。
日本でもテレビなどで紹介される機会が増えており、最近、事件を扱ったノンフィクションの邦訳が出版された。
アメリカのジャーナリスト、ドニー・アイカーはこの事件に取り憑かれた一人で、言葉も分からないロシアに乗り込み、遺族やディアドロフ財団など関係者に直接取材、被害者らの足取りを追って真冬の事件現場にまで足を運んだ。その執念の取材の成果が著書『Dead Mountain: The Untold True Story of the Dyatlov Pass Incident (English Edition)』である。この邦訳『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』が2018年18月に日本でも出版された。被害者らの人となりや事件当時のソ連の様子、そしてもちろん旅の模様まで詳細に描かれた力作で、事件について知りたいなら必読書といえる一冊だ。
なお本書では、事故原因をディアトロフ峠の地理的要因による、非常にレアな気象現象(カルマン渦列)とそれによる超低周波音の発生が事件の原因としている。誰もが納得出来る説かと言えば…。
事件の謎が解ける日は来るのだろうか?
(2018年10月14日に改稿)
参考
ディアトロフ峠事件(wikipedia) 画像もここから転載。
死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相 ドニー・アイカー 河出書房新社