日本のミイラ 即身仏のつくりかた

かつて日本には、厳しい修行の後に自らの体をミイラとし、仏となった高僧たちがいた。いわゆる即身仏で、現在でも山形県を中心に18体ほど現存しているとされるほか、各地に破壊されたり失われたりした即身仏の伝説が残っている。

背景にあるのは仏教に基づく特異な信仰である。そのルーツは中国にあるとされ、アジア各地に同様の信仰や即身仏が残っている。日本においては山形県の出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)を中心とした山岳信仰の流れをくむものと、富士山を中心とした富士講によるものとが知られている。

湯殿山神社(Wikipediaより)

日本最古の即身仏は新潟県長岡市にある西生寺の弘智法印といわれる。入定(死去)は1363年と鎌倉時代の真っ只中で、こちらは弥勒信仰に基づくものといわれる。即身仏の“ブーム”は江戸時代にあり、現存しているものの多くは江戸時代から明治初期くらいまでのものだ。明治時代になると、廃仏毀釈の時代が訪れ、即身仏となることは禁止された。それでも信仰は続き、最後の即身仏とされる佛海上人は1903年に入定しているというから驚きだ。

即身仏になるまで

高温多湿の日本でミイラを作るのは難しい。即身仏となるためには、生前から肉体をミイラ化させるための厳しい修業と入念な準備、そして周囲の人々の協力が必要となる。

まずは穀断ち。麦や米など主食となる穀物を食べることを止め、代わりに木食(もくじき)といって、木の実や皮、山菜などを食べる。ミイラとなりやすくなるために漆を飲んでいたとも伝わっている。

木食の行により、その体はどんどんとやせ衰えていく。餓死寸前になったら、地下に作った鉄の格子と石組みを巡らせた石室に入る。そして、ひたすらに読経を上げて鉦を鳴らし続けるのだ。

土中からの声や音が途絶えたら、信者や弟子の手で一度その体を掘り出す。そして背中に板を渡すなど姿勢を整え、手は合掌のかたちにする。そして3年ほど待って掘り出す。見事にミイラ化している場合もあれば、そうでない場合もある。時にはお堂に吊るし、よく乾かして、ろうそくやよもぎを燃やして燻す。漆を塗ることもあった。

こうしてようやく即身仏が出来上がる。即身仏となるには本人の努力もさることながら、周囲の人々の助けが必須なのだ。現代に至るまで信者や地域に守られ続けているのも、その徳の高さゆえなのだろう。

参考
新編 日本のミイラ仏をたずねて 土方正志 天夢人 日本各地の即身仏を実際に取材して書かれた本。衣替えなど貴重な機会も取材している上、2018年現在の近況も数行であるが記されており、非常に情報量が多い。即身仏に興味があれば読んでみて損はない。

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