自らの“保存”を望んだ哲学者 ジェレミ・ベンサムのオートアイコン

18〜19世紀イギリスで活躍した功利主義の父ジェレミ・ベンサム。社会の目的を「最大多数の最大幸福」の実現にあると論じ、後の世に大きな影響を与えた高名な哲学者、法学者、経済学者である。そんな彼は自らの死に際し、遺体を解剖し、オートアイコン(自己標本)として保存するよう求めた。

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今も大学に

ベンサムは1832年6月6日、84歳で生涯を終えた。遺言書には自分の遺体を科学のために公開解剖すること、そして保存して後の世に残して欲しいという希望が書かれていた。公開解剖にされることは若い頃からの希望だったらしく、晩年は頭部に嵌め込むガラスの目玉をポケットに入れて持ち歩いていたという。ベンサムの遺体は友人たちに見守られて解剖され、頭部と全身の骨格が保存処理されることとなった。

ジェレミ・ベンサム

イギリスの名門ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)には、今なおベンサムのオートアイコンが展示されている。胴体は骨格を干し草で肉付けしてベンサム自身の服を着せたもので、杖を片手に椅子に座った状態で木製のキャビネットに収められている。ポーズはもちろん、椅子や衣服もベンサム自身が遺書の中で指示したものだ。

ベンサムのオートアイコン

ベンサム自らガラスの目玉まで用意していた頭部であるが、マオリ族のやり方に参考に、真空ポンプや硫酸を使って行われたという。しかし、この方法は失敗だったようで、保存には成功したものの、皮膚が縮んで見た目が恐ろしいものになってしまった。そのため、頭部は蝋人形の頭にベンサムの髪の毛を植えたものとなっている。

蝋人形に置き換えられている頭部だが、実は本物の頭部も現存している。現在は倫理的な問題と保存の観点から考古学研究所で保管されている。

ベンサムの頭部

頭部だけ別の場所に移されたのは他にも理由がある。学生にとって、格好のいたずらのターゲットになってしまっていたのだ。何度か盗難騒ぎが起きているそうで、1975年には「100ポンドを慈善団体に払え」という身代金要求まであったという(大学は10ポンドを支払うことに同意し、頭部は無事返却された)。

ところで、オートアイコンのよく知られた伝説に「UCLの理事会に参加しており、その議事録には『ジェレミ・ベンサム 出席したが投票せず』と記されている」というものがある。当然都市伝説の類なのだが(開学100周年と150周年に参加した可能性はあるそうだ)、2013年に本当にベンサムがUCLの理事会に参加したことがある。

理事会に参加したベンサム(右端) UCLから引用

この日の議事録には、「ジェレミ・ベンサム 出席したが投票せず」と書かれたことだろう。

参考
Wikipedia 英語。主な画像はここから引用
Bentham ‘present but not voting’ (UCL Culture Blog) 英語。理事会に出席した時の記録

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